今日退院しました。正直ほっとしてます。
詳しいことはやはり書けないのですが、、、(公共の電波ですので)
突然右しか向けなくなるって、凄いことでした。
仰向けも、左もむけない。向くと激痛って、なにこれで。。CT3分耐えるのも地獄の極致と本気で思いました。のど元過ぎればなんとやらで済ましたくないので書いときます。
最初は右しか向けなくなっても何とか生きていけるかと思ったけど、痛みがあったので、
これはかなわんということで。。
これまた詳しいことは書けませんが、、二日いたみに耐えて、トイレも右斜め下を向かないと激痛が走るし、ずっと→向くとさすがに負荷がかかりすぎてしんどいから左にしようにも
激痛で無理でした。本当にトイレとベットだけの往復。余りの辛さに病棟に出るなんて考えもしなかった。
治療して、ようやく少しずつ左に向けて、仰向けになれて、起き上がることができました。
今はあれは夢だったんじゃないかと思うくらい思い出したくないのが強いのか。。。
やっぱり怖かった。痛みから解放されたのが一番うれしかったと思います。
今家に帰ってきて、、
赤ちゃんが成長する過程で、寝返り打って、お座り、ハイハイして筋力ができるのかな。そしてつかまり立ちして、歩き出す。
この過程を見れるだけでも驚きですし、子供によって個人差があります。
いますわってPCで打ってますが、、、座ることすら3日目まで無理で、、、
なんか、信じれない位一つ一つの動作ができることがすごいと、、あほな私になってます。
いざとなれば何とかしようと左利きでない私が無意識で食べていたこと。しかも寝ながらという。。看護師さんに食べさせてもらえばいいんでしょうけど、、恥ずかしくて言えませんでした。
というより、体制的に無理で、口からこぼれてしまうので、行儀悪い格好でないと無理で、それを見られるのは嫌だったんです。おバカなプライド。
多分それは短い期間だったから。長期だったら、どこかでギブアップしてたと思います。
右ばかりの負荷は相当だったので。
なんか変な話ですが、、私いのちと心のお話会の目的の一つに、なんであんな究極に辛い時に感謝の気持ちができるんだろうでした。
情けない話ですが、それが知りたくてわざわざ東京に行ったようなものです。
人が聞いたら腰抜かすかもしれませんが。
私だったら耐えれないとかの次元ではない。
全く、家族や、今の状況に感謝してないわけではないけど、感謝のたりない自分って何だろう。
悶々とした思いが自分の中でずっとこの日まで渦巻いてました。
勿論、美幸さんの中で沢山乗り越える壁が多く、人が一生かけていろんな思いをすることを、一気に駆け抜けて、大変だったと思います。
そして周囲の状況からもいろんな思いがあったからこそそういう思いがあふれるようになったというのは判りました。
でもその時は、恥ずかしながら自分しか見えない自分の姿に恥ずかしさというより鈍感さに呆れてました。
でも今回の出来事は
身をもって神様が普通の生活ができることの幸せを激痛というすごい罰を同時に与えながら今の状況の自分の幸せを教えてくれたのだなと思いました。
手が動く
目が見える
起き上がれる
ご飯を自分で食べれる
美味しいと感じる
家に戻れた
自分で動ける
考えれる
聞こえる
凄く当たり前なのにね。
この出来事が何が地球が変わるというわけではないけど、、、。家にいる安ど感は何物にも得難いです。
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