Happy Love Flower

写真、フラワーアレンジメント、プリザーブドフラワーを趣味でしてます。

渓太郎君の奇跡

もしもこの世の中に奇跡という言葉があるとすれば、、どんな願いもかなうでしょう。


何もせずに奇跡なんて起きるなんて思ってません。


しかし努力したからと言って起きるわけではもない。


なぜそうなるか理由なんてありません。


 命とこころのお話会は、不思議なご縁で繋がってるとおもいました。

自分の意志で行った東京だったけど、、、。


同じ年に生まれた子供たちのお母さんお父さんが渓太郎君が全国から呼び寄せた?!

そしてなぜ渓太郎君は、わざわざ東京に?とずっとおもいました。


あの日、、美幸さんから、子供たちの病気への葛藤と渓太郎君のとても神聖で尊いお話を

自分の耳で聞いたことは間違ってなかった。


だけどその二日後に私の身体は、アクシデントで右しか向けない身体になりました。

原因は詳しく書けませんが。


とてもじゃないけアクシデントで起きたこの痛みは

骨折か交通外傷で起きた時と同じですので、相当痛いでしょう?

痛み止めは効きません。自然に治るまで待つしかありませんと


救急の先生に説明を受けた時

の辛さを判ってもらえた安堵と、痛みの招待の恐怖から逃れられました。


しかし、痛みは治まるわけもなく、


あの不思議な話は絶対本当だとおもう。渓太郎君助けてとずっと思ってました。

そうでないと心がもたないし、とても痛みに耐えれませんでした。


いつかは自然に痛みが抜けるとはいえ、それはいつとは言えません。

右ばかり向くというのはこんなにも辛いことなんだと次第に耐えれなくなり左に向いても、あおう向けも、立ち上がるのも激痛こらえてですが、入院史上初めて動けないというすごい状態でした。

幸い二日後処置のおかげで3日目から座れるようになったり、徐々に元の状態に早く戻れました。


 最初の初日は障碍者になるのかもしれないという思いがありましたが、(実質医学上、

治るのは後で判りましたが)

なぜ起きたのか?どうして凄い激痛か、訳わかりませんから恐怖だけでした。


 元々も持病が辛くて、どうしたら苦しい状況から希望を見出せるのだろうと参加した会でしたが、あの痛みの中で判ったことは、ただ一つ、私は本当は生きたいんだという事。


 毎日絶望に感じてる人にあなたより大変な人はいると言ってもひとによって大変という思いは違いますから全く響くわけがありません。比較の問題でないからです。


こんな痛い目に合わないと気が付かない私の本音って、、、本当に究極にならないと出ないのかもしれません。

もしかしたらこれが逆に治療としてやったわけでなく偶然に起きたことだけど、

本当に治療法として、61年前の文献にあったから治るかもしれない。それは、、今現在では、やってる病院はあったけど、余りの激痛に痛すぎて患者さんが逃げてしまう治療で

現在はやってないそうです。


 そんなわけでわざわざ休日に伝えに来てくださった主治医の先生には、感謝はしてますが、

逆にこのアクシデントで治療の道がなくなってしまったことに絶望に瀕していた自分は

完全に心が閉ざされてしまい、感謝の言葉さえ頭に浮かばず、ショックで動揺してました。


 そんな中で仙台でコミュニケーション講座しかも皿ちゃん先生の告知。


そのいきさつはblogでも書きましたが、、、、皿ちゃん先生は医師ではないですが、

心と体は連動してるならば、体からアプローチがだめなら、心ならこの先生が治してくれるかもしれないという、大いなる思い込みと言う名の勘違いもどきで(実際は勘違いでなくて、大ヒット場外ホームランなんですけどね)

仙台に引き寄せられました。


本当の意味での私の持病の完治は答えが出るのは数年たたないとわからないかもしれません。

だけど、私は皿ちゃん先生の講座で一人じゃないんだと思いました。

闘病と言うのは孤独です。症状だけでなく家族がいても自分との戦いです。


 でもそれはちがうんだということ。張り詰めていたものがすぐに崩壊するわけではなかったけど徐々にその意味が体感して、受ける理由が判りました。



五感で覚えてるからです。


 それから自分にとって、辛いなあと思うことを人に話すのは全く恥ずかしいと思わなくなりました。

そして子供たちの問題も、それはその子その子の問題であり、私の問題ではないと悩まなくなりました。

 見栄とかプライドとか、世間体とかあれば、棺桶までずっと負のループだったでしょう。



何で仙台何だろうなあ?と行くまで思ってたけど、、、。

 そこには温かい人たちがたくさんいました。講座だけでなく、タクシーの運転手さんも空港であった人達も。


 渓太郎君が私に教えたかったのは、あなたが思うより世間はずっと温かく、優しい人たちに包まれているよということだったのかもしれません。

それを、何度もいつまでもお母さんである美幸さんの言葉を通じて、

教えてくれるんだと思います。






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