こんにちは。今日は1日降ったりやんだりでした。
昨日の中村美幸さんのいのちと心のお話会@東京は、さらっと書きすぎましたね。
(極端な話よみなおしすると、そういう意味合いで書いたつもりはないですがチャラいと不快に思われた方もいたかもしれません。すみません)
だれも行くまで予想してなかった同じ年の同じ月に生まれたお子さんがいる人が5人も集まった(おひとりさまは別の月ではございますが)
まるで全国から空から渓太郎君が同級生を集めたのでは?とだれもが驚いた会でした。
何百何千ならわかりますけど、一クラスにも満たない人数での確率は数学の得意な人でも解析できないでしょう。
お話を聞いて終わるのかなと思ってたので、そのあとのお互い皆さんの前での話は本当に普通では聞けない、いや、親しい人でも話さないだろうなという内容でした。
ある意味答えを探しに行った会でした。
前職や、入院中、いろんな患者さんの話を見聞きしてる中で、癒えるというのは容易でないのは、体験を聞くたびに、
やっと笑えるようになったのよと聞くまでの年数を聞くたび、卒倒しそうでした。
勿論、私の中でも一生癒えることがないことってあります。難しいんですけどね。
本じゃ駄目。経験した人しか語れないもの。。
うちの子と同じ年に生まれて同じ月に生まれた赤ちゃんって偶然じゃない何かがある。
そのなにかはなんだろうと思って参加しました。
話を伺いながら、美幸さんが体験した500日のエピソードはとても本では収まり切れないほどあるのは容易に想像つきました。実際に一部だけでもいろいろ立場のエピソードがありました。
それだけに文章にするには難しすぎたのです。
私は、、鈍感なのだろうか?聞きながら感覚がマヒしてるのだろうか?それぐらい心の整理がつけて文章という形にできない状況でした。
今回はお話が終わっていろんな人のお話を聞く機会がありましたが、
おそらく普段普通人には話してない感情というか、気持ちなのではという内容だったので、
今思えばその場で瞬時に頭の中で整理がつかなかった理由はどこかで混乱してたのでしょうね。
どういう人たちが集まってやってくるまで考えてなかったし、(それは考えてなかったので)いろんな立場の話というのは、、そうそう聞けない話です。
別に勇気をもってみんなに告白しましょうという場でもなかったし、そういう主旨で
シエアではなかったと思います。自由な発言だったと思います。
ただ、あの場にいた皆さんが一人一人の思いが語らせた話なんだなと思ってます。
私も自分がそういう話をこういう場でするつもりはなかったのですが。自然に出た言葉でした。
ただ時に、いろんな立場の人がおられますので勿論細心の注意は払ってるつもりでも
傷つけたかもしれないなという思いがあり、、昨日の時点では、書けませんでした。
自分の中でも難題をいくつか抱えてたので、答えは出たのですか?と言われたら
一つ一つのエピソードを噛みしめながら出していくという形になると思います。
誰でも辛い状況ってあると思いますが、
それでも前向きに強く前に出れる人とそうでない人に分かれる違いって何だろう
どうして笑顔でいれるのだろう。
どの人のエピソードも深く心に大事に忘れたくないなという話でしたが、
それは多分一番突き刺さった、強くならざる得なかったという言葉が答えかもしれません。
どうか、渓太郎君とご家族皆様がひたむきに生きた1年4カ月といのちと心のお話会が
いつまでも語り継がれますように心から願っております。
中村美幸さんのbloghttps://ameblo.jp/miyu-briller
皆様よろしくお願い申し上げます。
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